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暮れてゆく空は

「そうですか。彼女に決まりましたかー」
言ってルヴァは、ふ、と少し笑う。
「正式な発表は次の月の曜日にディアがするそうだ。…驚かないな、ルヴァは」
首座の守護聖であるジュリアスが言葉を吐息で閉めた。
「ええ、まあ、そんな気がしてましたし、ね」
曖昧に頷いて、ルヴァは窓の外に視線を遣る。
「あっという間でしたねぇ。この女王試験も」
遠くを見つめるようなその眼差しが切ない色を帯びた。
「……お前は、それでいいのか…?」
目を閉じて眠っているかのように見えたクラヴィスがゆっくりと瞼を上げる。
「金の髪の女王候補が女王になっても良いのか?」
その言葉にルヴァは瞬きし、彼を見つめた。
「…フッ、気付いてないと思っていたようだな」
ソファに身体を埋めたままで、クラヴィスは続ける。
「お前があの少女に特別な感情を抱いている事など、私でなくとも知っている…。例えば、そこのジュリアスも」
「…ジュリアス?」
ルヴァが問うように名前を呼ぶと、少し困ったような顔でジュリアスは頷いた。
「あー、バレていないと思っていたんですけどねぇ。参りました」
大きく息を吐き出すと、ルヴァは湯飲みを手に取る。
そして、すっかり冷めてしまったお茶を飲み干してから微笑った。
「私は、いいんですよ。彼女が幸せなら、何でもね」
「しかし、ルヴァ…」
何かを言い掛けるジュリアスを制して、クラヴィスが立ち上がる。
「女王になる事が幸せかどうかは…あの少女にしか解るまい」
それだけを言い置いて、彼は静かに部屋から出ていった。
その後ろ姿を見送りながら、ルヴァはそっと胸を押さえる。
「──…すみません、ジュリアス。私もそろそろお暇しますね」
「あ、ああ。執務中に呼び出してすまなかった」
クラヴィスの言葉に呆けていたジュリアスが、はっとしたように元に戻った。
「…ルヴァ。そなたがどんな結論を出しても私はそれが最善だと思う。だから、己の望むようにするが良い」
いつになく優しげな表情の彼にルヴァは何だか泣きたくなる。
「────ええ。…ありがとう、ジュリアス」
それだけをやっと口にすると、情けない顔を見られたくなくて深く頭を下げた。

*

日が傾き始めている。
一度、自分の執務室へと戻り、遣り掛けの仕事を片付けたルヴァは、聖殿入り口に立って、ぼんやりと空を見上げた。
こうしてここで天を仰げるのも、残り僅か。
女王試験が終われば、再び聖地へと戻って元通りの生活を送ることになるだろう。
寂しさに気付かないフリをして、何でもない顔をして、きっと自分はやっていけると思う。
「いえ、やっていかないといけないんですよねー」
独りごちて、苦笑を浮かべたルヴァを誰かが呼んだ。
「ルヴァさまー」
「はい?」
返事をしつつ、振り返った彼の目に金色が映る。
アンジェリーク。
止める事が出来ないみたいに、身の内から女王のサクリアを放つ彼女だった──。

「今、お帰りなんですか?」
軽やかに駆け寄ってきた彼女は少し頬を上気させ、ルヴァを見上げる。
「ええ。あなたもですかー?遅くまで大変ですねぇ」
いつものように笑顔を浮かべて、彼は頷いて聞き返した。
「はい。育成の帰りにリュミエール様の所でハーブティをご馳走になってたら、余計遅くなっちゃったんですけどね」
「では、良かったら一緒に帰りませんか?あー、その、暗くなってきて危ないので、寮まで送らせて下さい」
「ありがとうございます。あ、そうだ!ルヴァ様、少し寄り道して行っていいですか?ちょっと行きたい所があるんです」
嬉しそうに笑う彼女が愛おしい。ルヴァは目を細めて、見つめる。
「勿論ですよ、アンジェリーク。さあ、行きましょうか?」
「はい!」
肩を並べて歩きながら、気付かれないようにルヴァはこっそりため息をついた。
もしかして、こんな風に二人で過ごす事はもうないかも知れない──。

*

「これは見事ですねぇ…」
ルヴァはその光景に魅入ったまま、譫言のように呟く。
一面のススキ野原が夕日に照らされ、柔らかく輝いている。
「綺麗でしょう?ふふ、この間見つけたんです」
言ってアンジェリークはススキの群れの中でくるりと回ってみせた。
金色の髪がきらきらと光る。
「うちの近くにもススキがいっぱい生えてる所があったんです。だからかな、無性に見たくなっちゃって。でも、見ると…なんか、懐かしくて、切ないです」
えへへ、と笑い、彼女は一本手折る。
「ちょっと持って帰ろうっと」
「では、お手伝いしましょうか」
ルヴァも側にある一本を手折った。
「…あの、ルヴァ様」
もう一本を手に掛けた彼女がおずおずと声を上げる。
「なんですかー?」
ルヴァが首を傾げると、アンジェリークはじっと彼を見つめた。
「何か、あったんですか?…ルヴァ様、すごく淋しそうな目をしてます」
「──え?」
驚いて聞き返すと、慌てて彼女は両手を振る。
「あ、その!すみません!余計な事言ってっ」
「…いえ。心配してくれたんですよね?ありがとうございます」
にこりと笑ってみせると、彼女は何故か気落ちしたように眉を下げた。
そしてぽつりと言葉を零す。
「ごめんなさい」
突然の謝罪にルヴァが瞬きすると、アンジェリークは苦笑を浮かべてそれに答えた。
「ルヴァ様が私にいつもしてくれてるみたいに励ましたかったんですけど…。何を言ったらいいのか、どうしたらいいのか、わかんないんです」
「アンジェリーク…」
沸き上がる衝動。それを抑える事が出来ずに、ルヴァは彼女をきつく抱きしめた。
「ええとあのルヴァさま?!」
「…もう少しだけ、このままで」
動揺する彼女の耳元でそれだけを告げて、彼女の肩越しから茜色から藍色に移る世界を見遣る。
想いを口にしないようにきつく唇を噛み締めた。

「──驚かせてすみませんでした」
腕を解いてルヴァが言うとアンジェリークは少し赤い顔で、首を振る。
「ええと、その、急に目眩がして」
苦しい嘘をつくと、彼女は素直に信じて笑った。
「また、遅くまで本を読んでたんですか?ちゃんと寝ないと身体壊しちゃいますよ」
「あはは、そうですねぇ。程々にしないといけませんよねー」
彼女の笑顔にほっとしながら、ススキを数本纏めて折る。
「これぐらいで、いいですかー?」
「ありがとうございます。ふふ、何処に飾ろうかなぁ」
嬉しそうに穂を揺らし、彼女は寮に続く道へと戻っていく。
その小さな背にうっすらと羽が見えて、ルヴァは息を飲んだ。女王のサクリアだ。
「ルヴァ様ー!」
くるりと振り返って、アンジェリークは無邪気に名前を呼ぶ。全く自覚はないらしい。
「ぼんやりしてると真っ暗になっちゃいますよー!」
どうしようもなくてルヴァは微苦笑を浮かべた。
「今、行きますよ」

彼女の後ろに広がる空に、一番星が光る──。