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reincarnation

■序章■

 熱い風が砂の上を駆け抜ける。その後に残るのは数多の風紋。何かが存在を刻み込んだようなそれは、限りないみたいなこの砂漠と共にいつもある。

 舞い上がる砂を目を細めてかわし、少年は足早に進んでいた。小さなその足跡はオアシスの集落から続いている。
 風を孕んだ白い長衣を少し押さえて、彼は声を張り上げた。
「おばあちゃん!」
 一本の大樹── 砂漠では決して在りえない筈のもの── の根本に座り、敷物を編む老女がそれに気付いたように顔を上げる。
「お母さんのお手伝い終わったよ」
 駆け寄って、一息で言った少年に祖母である老女はにこりと微笑んだ。
「ご苦労様。じゃあ、約束していたお伽噺を話してあげましょうね」
「うん!」
 彼は祖母の話を聞くのが好きだった。わくわくするような冒険譚や想像もつかない外の世界のこと、そして宇宙の歴史等がそれで、時間を見つけては祖母にせがんでいた。
 話を聞いていると時折、知らないことの筈なのに何故かひどく懐かしい気持ちになる。
 それを告げると、祖母は寂しそうな顔で微笑った。どうしたの、と彼が聞いても答えはない。
 小首を傾げた少年の頭を撫で、老女は隣を指し示す。
「さあ、お座りなさい。いつもより長いお話だもの。くつろいでいた方がいいわ」
「うん」
 その言葉に素直に従い、彼はすとんと腰を下ろした。そして、祖母を見上げる。
「ふふ。じゃあ、始めましょうか──」
 そう言って、にこりと笑った祖母が一瞬少女のように見えて、彼は驚いて目をこする。

 『これは気の遠くなる程、昔のお話。忘れ去られ た、淋しいお伽噺。宇宙を司る女王の交代時に運 命の輪が回り出した、女王候補だった少女と地の 守護聖の、二人の物語…』

 青い青い空の下、お伽噺が響き出す──。


■一章■

    1

 彼女は少し赤い目で即位の儀に臨む。

「女王と守護聖の名において、ここに試験の終了と新たなる女王の誕生を宣言する。アンジェリーク、女王の玉座へ!」
 光の守護聖ジュリアスの朗々たる声が謁見の間に響き渡った。
 玉座を見据えたままで、アンジェリークは短く息を吐いた。──ついにこの時が来てしまった、と。
 進み出なければ、という気持ちよりも恐れと不安と後悔の方が強く、彼女の足をその場に縫いつける。
(ルヴァ様……っ)
 たまらなくなって声に出さずに名を呼ぶ。ぎゅっと目をつぶり、しわがつくほどスカートを強く握りしめて。
 出来ることなら振り向いて、彼の姿をこの目に映したかった。……今、一体どんな表情をしているのだろう。
「どうした?」
 怪訝なジュリアスの声にアンジェリークは緩く首を振る。理由など言えるわけがない。
 告げることの出来なかった、どうしようもない想いがある、なんて。
「……アンジェリーク。これは女王に選ばれたお前の義務なのだぞ」
 静かに諭すようなジュリアスに続き、闇の守護聖クラヴィスが口を開く。
「お前に全てを託した女王の信頼を無にして欲しくない……」
 弾かれたようにクラヴィスの顔を見、彼女は小さく頷いた。
 女王と補佐官は未だ旧宇宙から戻らない。そのことに彼らは酷く心を痛めているのだ。数日前、偶然聞いてしまったジュリアスとクラヴィスの会話を思い出して、アンジェリークは目を伏せた。
 ここで今更迷うことは許されない……。
「──謹んで女王の御位をお受け致します」
 空の玉座に一礼して、静かに彼女は告げる。知らず、涙がこぼれ落ちた。

    2

 突如、声が響く。
「どうやら即位の儀には間に合ったようだ」
 少し遅れて光がその場に溢れる。
 目がくらむ程の眩さは、耳鳴りに似た音を立ててすぐさま消滅した。
 その後に残ったのは見知った女性達の姿──。
「陛下、ディア様、ご無事だったのですね……!」
 アンジェリークの言葉に女王は頷くと、一同を見渡す。
「思ったより手間取ってしまってな。……すまぬ。皆には心配をかけたな」
 口元には苦笑。だが、補佐官ディアを振り返り、また前を向いた時にはもうそれは消え失せていた。威厳に満ちた笑みだけがそこにはある。
「即位の儀の前に……もう一人の女王候補、ロザリア・デ・カタルヘナをこれへ」
「はい、陛下。ロザリアはここにおりますわ」
 ぴんと背筋を伸ばしてロザリアがアンジェリークの隣に並んだ。
「女王補佐官として、そなたの能力を世界のために役立てて欲しいのだがどうであろう」
「謹んでお受け致します」
 女王に深く拝礼するとロザリアは彼女に向き直る。
「あんたってば相変わらず何も知らないし、頼りないことこの上ないわ。だから、わたくしがついていてあげる」
「ロザリア……」
「頑張ってみましょう? 新女王陛下。二人ならきっと理を覆すようなことだって出来るわ」
「え……?」
 アンジェリークが眉を寄せるとロザリアは彼女にだけ聞こえるように耳打ちした。
「(女王になるからって全てを諦める必要はないってことよ)」
 驚いてロザリアの顔を見つめる。何処か悪戯めいた笑みを浮かべて、ロザリアは指先で彼女の涙を拭った。
「では、アンジェリーク。改めて女王の座と力をそなたに譲り渡そう。──さあ、女王の玉座へ!」
 促されて、彼女は意を決したように足を踏み出した。

 新女王、即位──。

    3

 一人、また一人と新女王であるアンジェリークに忠誠を誓っていく。その同僚達の姿をぼんやりと見つめながら、ルヴァは静かに順番を待った。
 ──胸が痛む。
 彼らと同じように、新女王誕生を心から祝えたらどんなにいいだろう。
(私は、駄目です……。祝えませんよ……)
 視線を落として唇を結んだ。

 『それ』を何と呼ぶか解らずに過ごした時間はとても倖せで、ひどく贅沢だった。
 だから、だろう。もし、と思わずにはいられない。もっと早くに気づいていたら、何かが変わっていたかも知れないと。そんな馬鹿なことを思う。

 『それ』は彼女への恋心……。

「ルヴァ!」
 小声で名を呼ばれて、彼ははっとする。気がつくと、全員がこちらを見ていた。
 かなりの時間をぼんやりしていた事は明らかだ。ルヴァは慌てて謝罪し、女王の前へと進み出でる。そして跪く。
「アンジェリーク。あなたならきっと素晴らしい女王となるでしょうね。でも、時には大変な事もあるかも知れません。そんな時は立ち止まって周りを ──」
 言いながら、女王の玉座に収まったアンジェリークを見つめた。
 昨日までと変わらない姿で、全く変わってしまった彼女を。
 再び胸が痛み、口上は霧散した。その代わり。
「──私はあなたが好きです」
 そんな言葉がすとんと口をついて出る。
「ルヴァ!?一体そなたは何を……っ」
 ジュリアスが驚きのあまり口を閉口させ、他の守護聖はぽかんとしたように彼を見た。
 けれど、ルヴァはそれを気にしている余裕はなかった。
 口走った言葉に一番動揺したのは彼だったのだから──。
「あ、あの。すみません、失礼します!!」
 血が沸騰するような感覚を覚えながら、ルヴァは立ち上がり、踵を返してその場から逃げ出そうと思った。けれど、それは出来なかった。
 ──誰かが後ろから抱きついたのだ。
「へ、陛下!?」
 狼狽した声を上げたのは ジュリアスで、ルヴァはそれで自分を引き留めた相手が誰だかを知る。
 そっと肩越しに振り返ると、背中に縋り付くように彼女が、──アンジェリークがへばりついていた。
「……本当に?」
 彼女の震える声が、何を問うているのか解らずにルヴァは瞬く。
「え?」
「私が好きって……本当に?」
「──ええ。本当です」
 息を吐き出し、覚悟を決めて彼はその言葉に頷いた。
 今更取り消す事は出来ない。
 女王の即位の儀をぶち壊しにした守護聖なんて きっと前代未聞で、何をもって償えばいいかなんて全く想像つかないけれど。でも、ルヴァは彼女の命に何でも従おうと思った。例え、聖地から出ていけというものであっても……。
 しかし、アンジェリークは突然その場にへたり込んでしまった。とても断罪する雰囲気ではない。
「だ、大丈夫ですか?」
 慌てて向き直って、ルヴァはしゃがむ。まさか自分のせいで具合を悪くさせてしまったのだろうか。
 覗き込むと、アンジェリークは泣き笑いの表情で小さく呟いた。
「本当、なんですね。聞き間違えかと思ったんです。……良かったぁ」
「え、あの、それは……」
 どういう意味ですか、と口にするより早く彼女の腕が伸び、首に回される。抱きつかれた格好になったルヴァは耳元でその言葉の意味を知る。
 ──彼は震える腕でアンジェリークの身体を抱きしめた。


■二章■

    1

 ドタバタの即位の儀から一年の時が過ぎようとしている──。

 女王となったアンジェリークは宮殿の廊下を足早に進んでいた。彼女の嬉しそうな表情を見れば目的地は聞かずとも解る。ルヴァの執務室だ。
 開け放たれた窓から時折入る風は花の香りを運ぶ。今もそれは彼女の髪の毛をふわりと撫でつつ、出口を探すように廊下を通り抜けていった。
「ルヴァ様!」
 ノックと共にドアを開け、もどかしげに中へと滑り込んだ。
「あー、アンジェリーク。良い所に来ましたねぇ。今、丁度お茶にしようかと思っていたんですよ」
 彼女に気付いたルヴァはにこにこと微笑む。そして書類をまとめて、引き出しの中にしまった。
「お茶とか言ってる場合じゃないんです! これ、見て下さい!」
 握りしめて、少し くしゃくしゃになった書類を彼に示す。
「砂の惑星緑化計画」
 声に出してルヴァがそれを読み上げるとアンジェリークは じっと彼を見つめた。
「これってルヴァ様の故郷ですよね?」 
「ええ。そうです」
 それきり黙り込んで書類に視線を向けるルヴァに彼女は不安になって尋ねる。
「……あんまり、嬉しくなかったですか?」
 王立研究院から届いたこれを見た途端、アンジェリークは彼が喜ぶだろうと思って、居ても立ってもいられなくてここに来てしまったけれど。もしかしたらそれは思い違いだったのだろうか。余計なことをしてしまったのかも知れない。
 彼女は視線を床に落とした。
「す、すみません!違うんですよー。嬉しくないってことじゃないんですよー」
 慌てたように両手を振る気配を感じて視線を上げると、ルヴァの困惑顔が目に映る。
「何と言うか、驚きの方が強かったんです。……こんな大きな計画が立ってるなんて、信じられなくて」
 アンジェリークは一瞬考え込んで、そして一番最後の方を指で指した。
「これを見てもまだ信じられませんか?」
 それは彼女のサイン。女王が認めた印である。
 彼女とそれとを交互に見てからルヴァは緩く首を振った。
 そしてふわりと溶けたみたいに笑む。
「とても嬉しいです。知らせてくれてありがとうございました」

    2

「──ごちそうさまでした。……あのね、ルヴァ様」
 空になったティーカップを玩びつつ、アンジェリークは口を開いた。言いたいこと、否、言わなければいけないことがあるのだ。
「何ですかー?」
 ルヴァは片付けをしている手を休め、彼女に視線を向ける。
「えと、あのね、その……やっぱり、いいです」
 口ごもって、止めてしまう。彼ならばきっと とても喜んでくれるとは思けれど、何となくまだ照れくさくて言い辛い。ソファに身体を埋めてふるふると首を振った。
「はい?」
「ごめんなさい。今度ちゃんと言いますから」
「あー、そうですか。わかりました。また聞かせて下さいね」
 特に気にした風でもなくルヴァは笑う。ほっとしたアンジェリークの視界にさっきの書類が入った。
 ぴん、と良い考えが浮かぶ。
「そうだ! ルヴァ様、これ実際に見て来たくありませんか?」
 唐突な彼女の言葉にルヴァは驚いたように目を見開いた。
「今はそんなに大変な時期じゃないから少しなら聖地を離れても大丈夫だし。故郷のことだから気になるでしょう?」
 アンジェリークは彼の顔を覗き込む。遠慮して嘘をついても見抜けるように。
「ですが……むぐ」
 何かを言いかけるルヴァの口を塞いで、片目をつぶってみせる。
「現段階でどの程度まで進んでいるか。何か問題点はないか。──女王として地の守護聖である あなたに視察を命じます。いいですね?」
 これなら異存はないでしょうと女王の顔で言うと彼は観念したように頷いた。
「御意」
「ふふ、じゃあ手配しておきますね」
 嬉しくなって笑うと、彼が珍しく強引に身体を引き寄せる。ソファが少し軋んだ音を立てた。
「…あなたには本当に敵いません」
 少し掠れたその声にアンジェリークは微笑む。そして挑発的な目で彼を見上げた。
「参りましたか?」
「ええ。参ってしまいましたよー」
 ルヴァはそっと彼女の頬に触れる。意を察して瞼を下ろすと、程なくして唇が重なった。
 倖せ過ぎてまるでお伽噺のようだと言う彼の声が吐息に混じって聞こえ、そっと彼女は薄目を開ける。彼の瞳がそれに気付いて照れたように細められた。
 小さく吹き出して、アンジェリークは彼の頭からターバンを取り去る。
 彼女だけに見ることが許されたブルーグリーンの髪がさらりとこぼれ落ちた──。

    3

 いつもの執務服ではなく軽装のルヴァが豪奢な扉の前でくるりと振り返った。
 ここは星の小道の入り口。惑星間の移動に使われるそれの原理はあまりよく知らないけれど、シャトルなどで移動するよりは遥かに便利だということぐらいはアンジェリークも知っていた。
「あー、ゼフェル。留守中、くれぐれもアンジェリークのことをお願いしますよ。あの人とかあの人とかあの人が変な気を起こさないよう見張ってて下さいねー」
「わかってるって。もう耳タコだぜ」
 一緒に見送りに来たゼフェルはうんざりとした表情を浮かべる。
「あの人とかあの人とかあの人って誰ですか?」
 首を傾げるとルヴァががっくりと肩を落とした。
「気付いてないんですかー? あんなにいつも迫られているというのに……」
「私、迫られてたんですか。ちょっとびっくりー」
 あはは、とアンジェリークが笑うとルヴァとゼフェルは大仰にため息をつく。
「大丈夫ですよー、なんて言ったって私は女王なんですから!」
 誤魔化すように彼女は早口で言って、ルヴァを見上げた。
 心配げな彼の瞳の中に自分の姿だけが映ってるのに気付いて、アンジェリークはどきりとする。そして同時にひどく不安な気持ちになった。
(離れるのが──怖い……?)
 一緒に居ることが当たり前のようになっていたからかも知れない。諫めるように軽く首を振ってルヴァを再度見上げた。
「……行ってらっしゃい」
 何とか笑顔で言えたことにほっとして、彼女はゆっくりと手を振った。
 それに頷いてルヴァも手を振る。
「行って来ます」
「気ぃ付けて行けよ」
 ゼフェルの言葉にも頷いて、彼は背を向け扉に手をかけた。
「帰ってきたらこの間 言い掛けたこと、ちゃんと言いますから!」
 大きな声でアンジェリークが後ろ姿に呼びかけると、ルヴァは少し振り向いて微笑んだ。
 ──扉が開く。


■三章■

    1

 変わらない風景。
 空は青で、何も遮るものがない。
 地平線の向こうまで広がる砂漠をぼんやりと見つめ、ルヴァは無意識にターバンを押さえた。
「……どれぐらいの時間が経ったのでしょうか」
 呟き、そっと目を閉じる。
 聖地へと発つ日。見納めのつもりでここに同じように立ち、じっと見つめていたのはルヴァにとっては十年ほど前のことだ。けれど恐らくここでは、何十年、あるいは何百年の時が過ぎてしまっている。置き去りにされてしまった感は否めない。
 でも、とルヴァは思う。ここではここの時間が、そして自分には自分の時間がきちんと流れていて、互いに精一杯生きているのだからそれで良いのではないかと。
「あのっ」
 力んだような声で呼ばれて、ルヴァは慌てて振り返る。もしかして通行の邪魔をしていたのかも知れない。
「すみません、これじゃあ通れませんよねー」
 へらりと笑うと、声をかけてきた青年がぶんぶんと首を振った。
 ルヴァより少し年上ぐらいだろうか。王立研究院の制服を身にまとって、ひどく狼狽した様子で彼は「そんなことはありませんっ」と力を込めて返事する。
「そ、そうですかー? それなら、良いのですが…」
 わけがわからず、ルヴァは瞬きした。
「俺はトウアと言います! 二十八歳、ただのしがない研究員です。どうぞ宜しくお願いしますっ」
 いきなりの自己紹介に面食らっていると彼は自分の失態に気付いたように慌てて付け足す。
「スミマセン! ええと、実は俺、緑化計画発案・運営者なんです。だからそのっ、しばらくお世話させて頂きますので、どうぞお見知り置きをっ。地の守護聖様!」
「はぁ、そうなんですかー。って、ええ?!」
 発案者だということにも驚いたが、一目で守護聖だと見抜かれたことに驚きを隠せなかった。
「あの、どうして私が守護聖だと……?」
 ルヴァはおずおずと尋ねる。ジュリアスやクラヴィスのように、特別な雰囲気のようなものは皆無のはずだし、顔立ちも平々凡々だと自覚している。それなのに何故と。
 トウアと名乗った黒髪黒眼の青年は至極当然のことのように答えた。
「毎日、肖像画でご尊顔を拝見してますから」
「しょ、肖像画なんてあるんですか~?!」
 初めて知らされた事実にルヴァは頭を抱える。いつの間にそんなものが描かれていたのだろう……。
「ご存じなかったのですか。あ! 良かったら手帳サイズの複製画をご覧になりますか? 今、持ってますから」
 俺のお守りなんです、と嬉しそうな彼に慌てて首を振ってルヴァは言った。
「あー、そろそろ施設の方に案内して貰えると助かるかな、なんて思ってるのですが……。お願いして良いでしょうか」
 その言葉にトウア青年は力強く頷く。
「勿論です。お任せ下さい、地の守護聖様!」
「ルヴァ、でいいですよ。トウアさん」
「恐れ入ります、ルヴァ様。俺のことは呼び捨てて下さい」
「トウア、ですね。わかりました」
 ルヴァが呼び捨てるとトウアは少し照れたように笑い、地平線の方を指さした。
「ここからじゃ見えませんけど。あちらです!」

    2

 ドーム型の建物を前にして、ルヴァは瞬きした。
 思っていたより小さい。普通の一軒家ぐらいのサイズのそれは、何かの研究をするのには些か手狭なような気がした。
 ルヴァの思考を読んだかのように、トウアが説明する。
「この地上部分は入り口に過ぎません。 地下のスペース、ええと、このドーム部分五つ分ぐらいの広さなんですが、そこを研究施設として使用してます」
 言いながら彼はIDカードを差し込み、ドアを開けた。
「このようにセキュリティもバッチリです! さあ、中へどうぞ ルヴァ様!」
「あー、ではお邪魔しますね」
 少し緊張しながらドアをくぐり抜けると、そこには空の青があった。
「これは……」
 思わず立ち止まり、ルヴァは『空』を見上げる。この室内に入る前に頭上にあったものと変わらないそれは静かに彼らを出迎えていた。
「この天井は少し特殊なものを使ってまして、そこに壁がないみたいにクリアに外を映すんです。──ちょっと良いでしょう?」
 悪戯めいた目でトウアは笑う。それにルヴァは頷いて、しみじみと呟いた。
「ええ。ちょっとかなり良いですねぇ」
 外から見れば、つや消しした金属のような色をしていた建物だが、中から見ると空に続いているなんて。──アンジェリークも見たら、きっと気に入るに違いない。
「あのさぁ、そろそろいいか?」
 唐突に第三者の声が割って入って、ルヴァは目を瞬かせる。
「……?」
 視線を巡らせると、入り口の横に不機嫌そうな顔をした少年が立っていた。
「何でお前がここに……っ! というか、どうやって入ったんだ?!」
 慌ててトウアが少年に詰め寄る。どうやら知り合いらしい。
「そりゃ、俺様の特殊技能を使ってぱぱっと入ったに決まってるだろ」
 小さな工具箱のようなものを掲げて、少年は不敵に笑った。
「そんなことより、兄貴。今日は非番じゃなかったのか?」
 言って、トウアを半眼で睨む。
「……って、あの、弟さんですか?!」
 驚いた声を上げるルヴァにトウアは渋い顔で頷いた。
「ええ。そうなんです……」
「ってーか。あんた誰? 何者? なんかどっかで見たことあるような気もするんだけど」
「レン! お前、なんて口の利き方を! この方はだな、地の守……むぐっ」
 トウアの口を押さえて、ルヴァはトウア弟──レンに笑ってみせる。
「私はルヴァと申します。よろしくお願いしますね」
 守護聖だと告げると大抵、距離が空く。それは淋しい。トウアのように研究院に属する人間なら仕方がないが、それ以外にはなるべく明かしたくなかった。
「トウアは今日、お休みの予定だったのですか?」
 尋ねると、レンは余所を向いて、ああ、とだけ答える。
「それは申し訳ないことをしてしまいましたね……。すみません」
 押さえていた手を離し、ルヴァが頭を下げるとトウアは狼狽した。
「頭を上げて下さいっ! 俺はルヴァ様にお会いしたかったから、志願したんですよ? だから、その、休みなんて別に全然いいんです」
「兄貴が良くても、俺は良かない。……ショウがぐずるんだからな」
 言って、胸の前で腕を組む。
「それは……」
 言葉に詰まったトウアにレンはふん、と鼻で息をついた。それから表情を少し和らげて、おいで、と誰かに向かって呼びかける。
 その声に、おずおずと物陰から顔を覗かせたのは四、五歳ぐらいの幼子だった。
「ショウ?! お前まで……っ」
 目を見開いたトウアの元にショウと呼ばれた子供は駆け寄る。今にも泣きそうな目で彼を見上げると、ひし、としがみついた。
「トウア、その子は……」
 声が震える。ルヴァは瞬きを忘れてその子供を凝視した。──彼の弟に似過ぎる程似たその子を。
「俺の子供、です。なんか、すみません。ごたごたしてしまって」
「お子さん……ですか。そうですよね、あの子のわけないですよね……」
 目を伏せて呟く。
「だいじょうぶ? どこか、いたいの?」
 心配げな幼い声にルヴァは緩く首を振って、視線を合わせるように腰を落とした。
「心配してくれて、ありがとうございます。大丈夫ですよ。少し、あなたに似た子のことを思い出してしまっただけですから」
「ぼくとにたこがいるの?」
 大きな瞳がぱちぱちと不思議そうに瞬かれる。
「ええ。いたんです」
 弟にしていたようにルヴァが頭を撫でるとショウははにかんだように笑った。
「──レン。ショウを頼むよ」
 途方にくれたようにトウアは弟に視線を向ける。
「ヤなこった」
 何処か既視感を覚えるような態度でレンが突っぱねる。
「あのー、別に私は一緒でも全然構いませんよー。ここには特に危険な場所はないんですよね?」
「ありませんが……。でも」
「それなら問題はないでしょう。ショウもお父さんと一緒がいいですよね?」
「うん!」
「では、決まりですねー。さあ、トウア。案内をお願いしますよー」
 強引に話を終わらせてルヴァはにこりと微笑んだ。

    3

 地下に降りるエレベータは卵のようなフォルムで、何だか可愛らしい。一つ一つに──全部で六つあるのだが──植物の絵が描かれていた。誰かの願いが、そして想いが詰まっているのだろう。……ということは。もしかしたら、これは卵ではなく種の形なのかも知れない。
 ルヴァ達がそれに乗り込むと徐に動き出す。自動制御されていて、特に操作する必要はないらしい。
 珍しげに中を見ているとトウアが口を開いた。
「申し訳ございませんでした。……それから、ありがとうございます」
「いいえ~。折角のお休みを潰させてしまったのは私のせいですしね」
「いや、あんたのせいじゃいだろ。兄貴が悪い」
 何故か一緒に付いてきたレンが吐き捨てるように言う。
「子供には決して淋しい想いをさせないって、義姉上と約束したくせに。この馬鹿兄」
「うっ」
 痛いところを突かれたように、トウアが呻く。
 ぽん、という軽快な音を響かせてエレベータは停止した。
「ほ、ほら。着いたみたいですよー」
 間に入ってルヴァが言うと、レンはショウを抱え上げて先に外に出る。結構、面倒見は良いようだ。
「……すみません。ご案内致します」
「──大丈夫ですか?」
 酷い顔色をしているトウアが気にかかって、ルヴァが踏み出しかけた足を止める。彼は困ったように笑って、曖昧に頷いた──。

    * * *

「こちらは苗木の部屋です」
 ボタンを押して入り口を開けると、そこは森だった。ガラスケースに収まるサイズだからミニチュアフォレストとでも言うべきか。とにかく、色々な種類の木々が整然と並んでいた。
「砂漠でも生きられるようにしたものです。……と言っても、まだ弱いんですけどね。もう少し改良を重ねないと駄目みたいです」
 研究者の顔でトウアは肩をすくめる。
「水と肥料は決められた時間に誰かがやってるんですかー?」
 ケースを見下ろしルヴァが尋ねると、トウアは真ん中にある銀色の球体を指す。
「これが水と肥料を与えます。時間になると、こう、横に割れて、そこから出るようになってるんです」
「スプリンクラーですね」
「ええ。出来るだけ小型化してみました」
「はな はないの?」
 見えやすいようにレンに抱えられたショウが小首を傾げる。
「花が咲くものは別の部屋にあるから。後で見ような」
 トウアはぽんぽんとショウの頭を軽く叩き、ルヴァに向き直った。
「では、次の部屋に参りましょう」

    * * *

 すれ違う研究員達に挨拶を交わしながら、ルヴァ達は地下中央部にやってきた。
 比較的大きく育った木々が枝を伸ばし、空を目指すように、すっくと立っている。
「………」
 足を止めて、そっと幹に耳を寄せる。微かだが水音が聞こえた。
 ──この木々達が、本当に、いつか母なる大地に根を下ろすことが出来ればいい、そう切に思う。これらはきっと砂漠で生きる人々の希望になる。
 ルヴァが祈るように空を見上げた時、レンが不安げな声を上げた。
「なあ。なんか妙なにおいがしないか?きな臭いっていうか」
「確かに」
 トウアは鼻をひくつかせて、眉をひそめる。
「火事、でしょうか?」
 三人が顔を見合わせた丁度その時、建物が震えた──。

    4

 緊急事態を告げるアラームが繰り返し響く。赤いランプが点滅する。
「爆発……」
 壁に打ち付けてしまった背中をさすりつつ、ルヴァは呟いた。
 驚いて泣いているようだがショウには傷一つない。レンが抱き上げていたのが幸いとなったようだ。クッションの役割になったらしい。
「早く逃げないとマズくないか、これ」
 ルヴァと同じように身体を打ち付けた彼は、痛みに眉を寄せながら言う。
 確かに、このままでは拙そうだとルヴァは思った。煙が広がり、視界が悪くなり始めている。ここは原因の究明よりも身の安全を優先すべきだ。
 煙を吸い込まないように姿勢を低くし、レンとショウへ近付く。
「これで口元を押さえてあげて下さいねー」
 言って、レンにハンカチを差し出した。彼は頷くと、ショウが煙を吸い込んでしまわないようにそっと押さえる。
「トウア、早く脱出しましょう。このままでは危険です」
 振り向きトウアの姿を探す。しかし、彼の姿は元居た場所にはない。
「トウア?」
 視線を彷徨わせると、程なくして反対側の壁際に彼を見つけることが出来た。が。
 横たわったまま、彼は動かない。──冷や汗が、背を伝う。
「トウア!」
 駆け寄って抱き起こすと、彼は短く呻き、そして薄く目を開けた。
「ルヴァさ……ま、ショウとレンは……?」
「心配ありません。無事ですよ」
 頷いてみせると、安堵したようにトウアは微笑む。
 額から出血している所を見ると、何処かで打ったのだろう。ルヴァは服の袖を切り裂き、彼の額に巻き付けて縛った。
「脱出してから、ちゃんと検査して下さいね。頭は怖いですから」
 言いながら彼の腕を肩に担ぐようにして立ち上がる。煙がだいぶ酷くなってきた。
「兄貴!」
「おとうさん、ちがでてる……っ」
 レンとショウの元に戻ると、彼らはトウアの姿を見て、悲痛な声を上げた。
「大丈夫です。すぐによくなりますから。それよりも早く脱出しないと……」
「そうだな。……こっちに脱出用のポッドがあったはずだ。ついてきてくれ」
 レンがショウを抱えて走り出す。彼は何度かここに来たことがあるらしい。頼もしく思いながらルヴァはトウアを引きずるようにして歩き出した。

    * * *

 小さな爆発に何度か襲われつつも、必死に進む。あちこちが痛むけれど、それを気にしている余裕はルヴァ達にはなかった。
 不意に開けた場所に着く。ここがポッドを収容しているドッグのようだ。
「そんな…」
 地響きと爆発の音の間にレンが呻く声が届く。
 どうやら他の研究員が既に何人かここから脱出したらしい。空になった台座がいくつかあった。
 ──残りは二つ。
 ルヴァはその一人乗り用のポッド二つを見つめて、静かに口を開いた。
「……トウアに一つ、それからあなた達二人で一つに乗って下さい。少し窮屈だと思うんですが、ちょっとの間ですから我慢出来ますね?」
「でもっ、そうしたらあんたが!」
 レンが泣きそうな顔でルヴァを見上げる。
「大丈夫です。私は別の脱出ルートを探してみますから」
 にっこりと微笑んでみせると、彼は俯いてしまった。
 ルヴァも、そしてレンも解っているのだ。無事にここから出る方法は多分もう、これしかないと。
「……これは私のエゴです。だから、気に病む必要はないんですよ」
 震える少年の肩にそっと手を置いて言う。そして、腕に抱かれたショウに声を掛けた。
「あなたにお願いがあるんです」
 目を瞬かせる彼に両耳からピアスを外して渡す。
「これをアンジェリークという人に渡して貰えますか?」
「あんじぇりーく?」
「ええ」
 頷いて、彼の頭を撫でた。
「──それから、『すみません』と伝えて下さい」
「うん。でも、どうしてぼく?」
 受け取ったピアスを握りしめて、ルヴァを見つめた。
「似ている子がいた、と言ったでしょう? ……だから、ですよ」
「? よくわかんない」
「それでいいんです。さあ、レン。早く乗って」
 右側にあるポッドを指す。ルヴァは左側のポッド中にトウアを収めた。
「俺達だけで逃げるなんてそんなこと出来るかよ!俺が、勝手に忍び込まなければ……っ」
 レンの叫びは、しかし一際大きな轟音で掻き消された。時間がない。
「……行って下さい。早く」
「でもっ」
「──地の守護聖として命じます。お行きなさい」
 鋭く言い放ったルヴァに、レンは驚愕の表情を浮かる。
「行きなさい!」
 叱咤するとレンは弾かれたようにポッドに乗り込んだ。抱えられたショウが手を振る。
 噴出され、それが残像のように目の奥に残った。
「ルヴァさま……あいつらは?」
「あー、気が付きましたか? 先に脱出させましたから心配ないですよー。次はあなたの番です」
 意識を取り戻したトウアがゆっくりと瞬きする。
「俺よりルヴァ様が先に……」
「いいえ。怪我人優先です」
 ポッドが足りないことは伏せて、ルヴァは告げた。言えばきっと自分が残ると言い出すだろうから。
「あいつらが無事で良かったです……。俺はこれ以上、守るものを失いたくない──」
 言ってトウアは瞼を落とす。また気を失ったようだった。
 ルヴァはそっとフタを閉めると彼の乗ったポッドを地上へ送り出した。

    * * *

 煙に噎せながら、ルヴァは再び中央部に戻っていく。足掻けるまで足掻くつもりで。
 爆発は収まる気配はない。それどころか、酷くなっているような気さえする。
「肥料に硝安でも使っていたのでしょうか……」
 特定の条件下で爆発する硝安──硝酸アンモニウムは寒冷地等で使われることがある。それをここで使っていても何ら不思議はない。
 再び轟音。爆風を直に受けてルヴァは壁に激突した。
「痛……」
 強かに打ち付けた身体が厭な音を立てた。呼吸をすると痛みが走る。
 ずるずると座り込むと、幾分か楽になった。
 ぼやける視界に折れた木々が映る。
「このままでは、木が……希望が……」
 この星に緑が少しでも増えれば、きっとそれだけで救われる命がある。乾き、飢え、容赦ない日差しを凌ぐために緑は不可欠なものなのだから。
 ルヴァは苦痛に拡散する意識を何とか集めて、力を使う。
 うすぼんやりとした光が呼応するように、小さな苗木から発せられた。それを認めて、彼はゆっくりと息を吐き出す。そして、天を仰いだ。
「アンジェリーク……」
 そっと名前を、口に乗せる。
「あなたは……怒るでしょうね。それから──泣く、のでしょうね」
 熱風に煽られて、一瞬だけ煙が晴れる。その時に空の青がちらりと見えた。
 鮮やかなそれは彼女と共にいつも見ていた聖地の空を思い出させる。酷く、胸が痛い。
「……泣かれると辛いですねぇ」
 呟きと一緒に意識が闇に吸い込まれていった。

 その場を制圧したみたいに低い音を纏いながら炎がゆらめく──。


■四章■

「……っ」
 喪失感が全身を駆け抜けた。そして、それが治まった後には新たな力を感知する。
 アンジェリークは両手で顔を覆い、意味をなさない言葉を叫ぶ──。

    * * *

「陛下!」
「ルヴァ様が…っ」
「地のサクリアが!」
 謁見の間に駆け込んできた守護聖達の顔は蒼白で、彼らもそれを感じ取ったことは明らかだった。
「──次元回廊を開くわ」
 そっと静かにアンジェリークが告げると、彼らの間を縫って前に飛び出したロザリアが制止の声を上げる。
「お待ち下さい! 今は陛下のお体に負担が……っ」
「……行かせて。お願い」
 ひたと見据えると、ロザリアは言葉を飲んで項垂れた。
「ごめんね、ロザリア。もう一つだけ、我が儘を言わせて。……一緒に、ついてきてくれる?」
 ゆっくりと視線を上げたロザリアは困ったように、泣いているかのように笑う。
「勿論よ、アンジェリーク」

    * * *

 そこに集まった人々がどよめく。そして慌てたように次々と平伏していく。
 その中をアンジェリークは突っ切った。熱い砂漠の風に金の髪が煽られる。
 同行したのは ロザリア、 そしてオリヴィエ、ゼフェルだった。本当は全員が来たがった──あの、クラヴィスでさえもこの地に赴くことを希望した── のだが、アンジェリークに負担がかかるとロザリアが人数を絞ったのだ。
「あれ、みたいだね」
 オリヴィエが独りごちる。彼女の目にも既にそれは入っていた。
 煙が燻り、無惨に崩壊した研究施設だ。
 瓦礫が積み重なるその場所の少し前にテントが張られている。怪我人の手当てをしているらしかった。
 アンジェリークは無言でそこに向かう。
「じょ、女王陛下?!」
 手当てにあたっていた研究員が彼女に気付いて、狼狽する。その声に気付いたのか、一人の少年が顔を上げる。彼はひどく憔悴した様子で瓦礫に体重を預けるように座り込んでいた。
「女王? ……本物か?」
「ええ」
 アンジェリークが頷くと、彼は額を手で押さえて呻く。
「あんたがホントに女王陛下なら──俺を殺してくれ」
「……どうして?」
 静かにアンジェリークが問うと彼は身体を戦慄かせた。
「俺が……あの人を、地の守護聖様をおいて逃げた。見殺しにしたようなものだからっ」
 嗚咽を混じらせ、少年は吐き捨てる。
「──あの人がそうしなさいって言ったんでしょう?」
 しゃがみ込んで彼の瞳を覗き込んだ。
「言ったけどっ! でも、だからって」
 溢れてこぼれ落ちる涙を拭いながら必死に訴える彼にアンジェリークは緩く首を振る。
「私は殺さないし、責めないわ。──だから、その時のことを教えてくれる?」
 彼女のその言葉に少年、レンはしゃくり上げながらも頷いた。

    * * *

 レンは全てを語り終えると、ショウを呼んだ。
 小さな彼は素直に駆け寄ってくると、きょとんとした顔でアンジェリークを見上げる。
「…もしかして、おねえさんが『あんじぇりーく』?」
「ええ」
 彼女が頷くと、ポケットの中から大事そうにピアスを取り出した。
「これをわたしてって。それから『すみません』ってつたえてって、いわれたの」
 アンジェリークは受け取ったピアスをきつく握りしめる。そして、視線を合わせるように腰を落とした。
「ありがとう」
 はにかんで首をぶんぶん振るとショウはふと思い出したように首を傾げる。
「あのね、ぼくににたこがいるんだっていってたの。おねえさんはそのこがどこにいるかしってる? ぼく、あってみたいな」
 その言葉に彼女はルヴァの行動の理由を察した。彼はきっとこの子を救いたかったのだろう。──弟にそっくりな子供の悲しむ顔を見たくなかったに違いない。
「ごめんね、私も解らないの。でも、きっとここから遠くない場所に居たんだと思うわ」
 言って、ショウを抱きしめる。堪えきれずに、涙がこぼれ落ちた。
「おねえさん、ないてるの? どこかいたいの?」
「…うん。──少しだけ、胸が痛いの」


■終章■

「それから、女王さまはどうしたの?」
 泣きそうな目で自分を見上げる少年の頭を撫でて、彼女は言った。
「関わってしまった人々の記憶を消して、それから新しい地の守護聖に聖地に迎えたそうよ」
「記憶を消してしまったの?どうして?」
「彼らにはそれが重い、と感じたのでしょう。きっと背負わせたくなかったのよ」
「…女王さま可哀想」
 俯いて呟いた彼の手をそっと自分のそれで老女は包んだ。
「可哀想かどうかは彼女にしか解らないわ。その人が何を倖せに思い、何に不幸を感じるかは他人が決められることではないのだから」
「うん」
 少年は神妙な顔で頷く。
「女王陛下のお腹の中には赤ちゃんがいたの」
「地の守護聖さまの?」
「ええ。勿論。──彼女はやがて元気な子を産み、女王の任を全うして、彼の故郷へと降り立ったそうよ。…これで、この話はおしまい」
 にこりと笑ってから、彼を立たせてやる。
「さあ、そろそろお父さんの所にお弁当を届ける時間ではないかしら?」
「あ、いけない!お父さん、待ちくたびれてるかも」
 慌ててそこから駆けだした少年は、しかし3メートル程進んで立ち止まった。
「おばあちゃん、ありがとう。また後でお話聞かせてね」
 言って、手を振る。
 太陽光に反射して、古ぼけた金のピアスが彼の両耳で鈍く光った。
「気を付けて行ってらっしゃい」
 長衣の裾とターバンの端をはためかせて、その言葉に頷くと少年は再び砂漠の上を駆けていく。

 葉擦れの音を響かせて、風が吹き抜けていく。
 老女は地のサクリアを微弱に宿す大樹を見上げて、小さく呟いた。
「今度はちゃんと覚えていてね。お伽噺は倖せな結末を迎えるのを待っているのよ──」
 長い年月の間に金色ではなくなってしまった髪が、サリーと共に風で舞う──。