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恋歌

少しだけ欠けた月が空にぽつんと浮かんでいた。
その輪郭をぼんやりとした光の輪がが囲っている。柔らかそうなそれは何だか少し切なさを齎す。
噴水の縁に腰を下ろしたルヴァは溜息一つついてから、水面へと視線を移した。
月が――満月になりきれなかったものがそこにもあった。
ゆらめくのは噴水の雫が作る波紋のせい。
ルヴァはそれを眺めながら、遠い遠い昔のことを思い出していた。
「…『そばにいて ここにいて いつでもどんなときでも
私のここに 隣にいて
一緒に笑い 時には泣いて かわらない日々を過ごそう
手を繋いで ずっとずっと』」
不意に口ずさんだ歌は母に教わったもの。
父がプロポーズした時に歌ってくれたのだと少女のような顔をして話してくれたのを覚えている。
(『そばにいて』、ですか…)
声に出さずに呟いてルヴァは口元に苦笑を浮かべた。
「…ルヴァ様?」
「え?」
少し離れた所に闇に紛れきれない存在を見つける。
薄い生地の白い夜着を身に纏って、頼りなげにそこに立っていたのアンジェリークだった。
「眠れないのですか?」
「ルヴァ様も?」
ぱたぱたと走り寄ってきて、質問を質問で返して彼女は微笑む。
「もう『様』は不要ですよ、陛下」
はぐらかすようにそんな事を言うとアンジェリークはじっと見つめてきた。
「今日は早くお休みにならないと。ご即位の儀でお疲れでしょうから」
心の中まで見透かしそうなその彼女の瞳から逃げるように、ルヴァは伏目がちなる。
「…いつもみたいにアンジェリークって呼んでくれないんですか?」
目を逸らさないまま問う彼女にルヴァは無理矢理貼り付けたような笑顔で答えた。
「私はもう、あなたの臣下ですから」
「臣下だなんて、そんな簡単に言わないで」
子供のように厭厭をするアンジェリークの肩にふわりと自分の上着を掛けて、ルヴァは自嘲気味に笑う。
「簡単…だなんてことは全然ないですよ、アンジェリーク」
その言葉にアンジェリークは弾かれたように顔を上げた。
ルヴァは遠くの方に視線を向けて、囁くように続ける。
「でも仕方がないでしょう?あなたは女王で私は守護聖なんですから」
色々な言葉を飲み込んで、彼女にそれだけ告げるとルヴァはにこりと微笑んでみせた。
「送って行きますから。帰りましょう?」
促すようにアンジェリークより数歩前に進んで、振り向く。
「明日からは大変ですよー。色々とやることがありますから」
「『ルヴァ様、大好きです』」
遮るように突然彼女は声を上げた。
「…え?」
ルヴァは驚いて目を見開く。
「半日ぐらい前に言ったでしょう?」
両手いっぱいに花を抱えて、エリューシオンから戻ってきた彼女はルヴァに不安さを吐露し、励まされ、先の言葉を発したのだ。
「あれは…感謝の気持ちを込めた言葉、じゃ…」
「特別なものだとは思わなかったんですね」
アンジェリークは視線を落とした。
「だって、すぐ後に皆も大好きだって言っていたじゃないですか」
信じることが出来ずにルヴァがそう呟くと彼女は憮然とした表情を浮かべる。
それから小さく「もう、いいです」とだけ言うとさっさと歩き出してしまった。
「まっ、待って下さい!アンジェリーク」
離れていく背中を慌てて追いかけて。
背後からそっと抱きしめた。
そして告げる。
そばにいて欲しいと。

遠い日の母の声であの恋歌が聞こえた気がした。