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熱情

 吐息が、熱く交わる。
 明かりの落とされた部屋は静かで、互いの鼓動ばかりが聞こえていた。
「……怖いね」
 ぽつりと呟くと、彼がそっと触れるだけのキスをする。
「でも、戻れないよ。もう」
 囁くような言葉の後に、再びキス。だけど、今度は貪るように深く長く続く。
「うん、戻れないね……尽」
 離れた唇で名前を呼ぶと、彼は泣きたくなるような淡い笑みを浮かべた。
「それでも。倖せだって言ったら、ねえちゃんは怒る?」
 そっと手を伸ばして、彼の頬に触れると日輪は緩く頭を振る。何も怒ることはないのだ。彼女だって、それは同じなのだから。
 日輪の言いたいことを察したように頷くと、尽は触れた手を掴んで口元へと引き寄せた。そして。
 薬指に口付けて、鮮やかな笑顔を浮かべる。
「好きだよ、日輪」
 告げられたその言葉にきゅ、と唇を噛みしめると、彼女は応えるように彼の身体に手を回した─。

 身の内に生まれた綺麗な感情。純粋すぎる程の想い。だけど。
 これは─禁忌。
 それを解っていても、もう踏み出さないままではいられない。

「もう一回、言って?」
 耳元で小さくねだると、尽の笑う気配を肩の辺りで感じた。
「ねえちゃんが望むなら何度でも言うよ。好きだ……好きだよ─愛してる」

 滑り落ちる涙を追うように、キスが降る。

* * *


1 はじまりの「熱」

 長い指が、ネクタイを解いていく。
 第二ボタンまで開けられていたシャツから覗く鎖骨はすっかり大人の男のそれで、日輪は何となく居心地の悪い気持ちになった。
「何? 思わず見とれちゃうぐらい、オレってイイ男?」
 口を開けば尽は相変わらずの尽で、そのことに少しだけほっとさせられる。しかし、それはすぐに癪な思いに変わった。弟を意識してどうするというのだ。
 日輪のその内心の葛藤に気付いたわけではないだろうが、彼はにやりと笑ってブレザーをソファの上に放った。
「べ、別に見とれてないもん。─もう。これじゃ制服、皺になっちゃうよ?」
 誤魔化すように早口で言って、腰に手を当てて睨み付ける。そんな日輪に尽は平気平気と手を軽く振って取り合わず、キッチンへと行ってしまった。
 はあ、と溜息が漏れる。仕方なくブレザーを拾ってハンガーに掛けていると、がこ、と冷蔵庫を開ける音が聞こえてきた。続いて、棚を漁るような音が響いてくる。
「腹減ったー。なんかないかな」
 一瞬黙っていようかと意地の悪いことを考えた日輪だったが、思い直して届くように声を張り上げた。
「ハニーレモンケーキ作ったの。食べる?」
 ちゃんと聞こえたらしい尽が、それに応えるようにひょこりと棚の影から顔を覗かせる。
「ねえちゃんが作ったのか? ……食えるの、それ?」
 胡散臭そうな表情でそんなことを言われて、日輪は柳眉を逆立てた。
「ちゃんと食べられるの! いいもん。そんなこと言う人にはあげないんだから」
「悪かったってば。ケーキ下さい、お姉さま」
「まったく。調子良いんだから」
 ぶつぶつと文句を零すが、結局は許してしまう。自分でも甘いと解っているが、どうしてもこの弟は憎めないのだ。
 日輪はキッチンへと歩いて行き、オーブンの中からまだ温かいケーキを取り出した。パウンド型から崩れないようにそっと出して、3センチ程の厚さに切ると「はい」とそのまま尽に手渡す。
「皿に盛らないのかよ…」
 呆れたように言いながらもそれを受け取り、一口で食べると。
「うん。食えなくはない」
 指を嘗めつつそんな感想を述べる。
「……一生懸命作ったのに」
 日輪は肩を落として、出来たてのケーキを悲しげに見つめた。別に褒めて欲しかったわけではなかったけれど、初めて作ったものだから、もう少しまともな感想が聞きたかったのだ。
「ウソウソ。美味いって! 自分でも食ってみろよ、ねえちゃん」
 しょげた彼女に焦ったのか、尽が慌てて言葉を撤回する。
「ホント?」
 疑うように彼を見遣ると、しっかりと頷かれた。それならば、と思って日輪は自分もケーキを頬張る。
「あ、ホントだ美味しい。良かった、ちゃんと上手く出来たんだ」
 えへへ、と笑うと尽が苦笑した。
「ここんとこ、ケーキのかす、付いたぜ」
 とんとん、と自分の口の横を指すようにして指摘される。呆れたようなその声音に、慌てて手を伸ばしてみるが、それらしいものは指に触れようとしなかった。
「どこ?」
 解らないんだけど、と問うと。
「ここ。」
 言って、尽はそれらしいものを直接啄むように口付けた。─悪戯っぽい目で見つめながら。
 日輪は一瞬呆けて。でもすぐにかあっと満面を朱に染める。
「な……っ」
 文句の一つでも言ってやろうと口を開くけれど、それは言葉にはならなかった。ただ、ぱくぱくと動くだけである。
 尽はそんな日輪を面白げに見遣って。そして大仰に嘆息してみせた。
「ガキじゃないんだからさ、いい加減に食べこぼしなんてしないでくれる?」
「つ、尽!」
 やっと出た声で名前を呼ぶが、彼は聞いてないみたいに歩いて行ってしまう。こんなことぐらいは全然気にもならないという態度であった。
 口元を押さえて、恥ずかしさと悔しさに打ち震えていると、尽が不意に振り返った。思わず、ぎくりとする。─と。
「ごちそうさま、ねえちゃん」
 意地悪げな笑顔でそんな言葉を言い残すと、ひらりと手を振り廊下へと消えた。
「馬鹿尽……っ」
 閉まったドアを睨み付け、日輪は小さく呟く。

 一瞬だけ触れられた口元が熱を持っていた─。


2 秘められた「花」

 廊下の壁に掛けられた時計がカチカチと正確に時を刻んでいく。現在は午後九時十五分。ちょうど針は水平の形を取った所だった。
 アイロンをかけたシャツを抱えた日輪は、それを見遣ってドアの前でそっと息を吐き出す。もういい加減にしなければと思いながら。
 このドアの向こう側には尽がいる。ここは尽の部屋で、自分はその尽に用があってここに居るのだから─それは当然のことだ。
 だけど、否、だから。ノックをするのを躊躇ってしまう。
 この間のことがあってから、日輪は尽を少しだけ避けていた。会えば確実に思い出してしまうし、その度に弟の中にある男の部分を意識してしまうのが嫌だったからだ。
 でも、こうしていても仕方がない。
 (私はこれを届けに来ただけだもん)
 奮い立たせるように胸の内で呪文のように唱えると。意を決して彼女は拳を振り上げた。

─トントン─

「開いてるよ」
 返ってきた声に、心臓がどくんと音をたてて跳ねた。
 いつからこんなに深く甘い声になったのだろう。─いつの間に変わってしまったのだろう。それを思い出せないままドアを押し開け、身体を滑り込ませた。
「なに?」
 問われた声に、ドアを閉めながら答える。
「これ。アイロンかけといたから」
 出来るだけいつも通りを装いつつ、素っ気なく手渡そうとして視線を前に遣り─彼女はそこで硬直してしまった。
「あー、サンキュ。そこ置いといて。……なんだよ、ねえちゃんその顔」
 どうやらシャワーを浴びた直後だったらしい。湿って温かい空気にそれを知る。ベッドに腰掛けた尽が、タオルでがしがしと乱暴に髪の毛を拭きながら訝しげに日輪を見上げてきた。
「べ、別に、何でもない」
 我に返った日輪は慌てて視線を逸らす。とてもじゃないけど、真っ直ぐに見ていられなかった。尽は半裸、上半身に何も羽織っていなかったのだから。そんな姿を見るのは今の状態では厳しい。
 引き締まった身体は昔一緒ににお風呂に入っていた頃のものとは全然違くて。まるで別の、男の人─そんな気がして怖くなる。
「何でもない、ね……。ふぅん」
 意味ありげに尽はそれを繰り返すと、ゆるりとベッドから立ち上がった。
「そんな風にはとても見えないけどな、ねえちゃん?」
 揶揄するように言って、瞳を覗き込んでくる。口調とは裏腹に真剣な色を灯した瞳。それに何もかもを見透かされそうで、彼女はじりじりと後退った。
─が。背にドアが当たり、もう後がないことを悟る。逃げられない。
「つ、尽ってば私より全然色気があったから、びっくりしたの。それだけだよ」
 男の子なのにね、と誤魔化すように笑った。ぎゅ、ときつく縋るようにシャツを抱きしめながら。
「『秘すれば花』」
「え?」
 ぽつりと呟かれた言葉に、日輪は目を瞬かせる。それを苦笑しながら見遣って、彼は言葉を継げた。
「まあ、ちょっと使い方は違うけどね。でも、ねえちゃんが感じたオレのイロケってやつはそういう所から来てるんじゃないの?」
 先の言葉は世阿弥の「風姿花伝」の中の有名な一節から切り取られたものである。
 『秘すれば花なり 秘せずは花なるべからず』というもので、芸能などに関する言葉だけれどこの場合は。
「何か秘めてるものがあるってこと?」
 首を傾げると、そゆこと、と尽は自信満々に頷いた。
「変なの。一体何を秘めてるっていうのよ」
 見慣れた態度の尽に安堵して、クスクスと笑う。それに彼はふ、と身に纏う空気を一瞬で変えて、ドアに手を付き、顔を寄せてきた。
「─聞きたい?」
 囁くような声。それが耳元で、ぞくりとするほど甘く響く─。
 日輪は身を強ばらせ、辛うじて残る冷静な部分で目一杯頭を振った。聞いてしまったら、何かを失ってしまう。そんな気がした。
「ちぇ。つまんないの」
 わざと拗ねたような口調で言って、尽は意地悪げな笑みを浮かべる。反応を面白がっているみたいにそれは見えた。
「わ、私やることあるから、もう戻らないと!」
 見ないようにしながら胸を押して、閉じ込められたみたいな体勢から抜け出す。シワシワになってしまったシャツを彼に押しつけて─そして、逃げるようにドアを開いた。
「じゃ、じゃあね」
 目を合わせないまま隙間から廊下へと脱する。ひやりとした空気が火照った頬に心地よかった。
「─日輪。いつでも聞きに来いよ。覚悟が出来たら、ね」
 閉まる直前に耳が捉えた言葉に一瞬、動作が止まる。でもすぐに振り切って、自室へと飛び込んだ。
 全身が心臓になったかのように、鼓動が五月蠅い。痛みすら感じる。
 へなへなと床に座り込むと、日輪は顔を覆った。
「変だよ……。間違ってるよ、絶対……。こんなの、まるで─みたいじゃない……」
 小さな言葉は部屋に硬く響いて、消えた。


3 止まらない「涙」

 卵焼きを口元まで運びかけて、やっぱり止めてお弁当箱に戻す。食欲がない。
 蓋を閉めて嘆息すると、日輪は目の前にある花壇にぼんやりと視線を向けた。
 大学構内にあるこの中庭で昼を取る者は多くなく─皆、学食に行くからだが─閑散としていた。設えられた噴水の音と鳥のさえずりが聞こえるばかりである。
「浮かない顔ね」
 近付いてくる人影に苦笑を滲ませたような声を掛けられた。
「有沢さん」
 逆光で眩しく、目を細めながら名前を呼ぶと。志穂は「隣いい?」と訊ねてきた。
「東雲さんはもうお昼済んだのね」
 日輪が頷くのを待ってから志穂は隣に腰を下ろす。コンビニの袋からサンドイッチを一つ取り出すと、ちらりと仕舞われた弁当箱に視線を投げた。
「うん。まあ、ね」
「でも。その様子だとちゃんと食べてないみたいね。少し顔色も悪いし」
 曖昧な返事に眉をひそめてずばりと彼女は言う。う、と言葉に詰まると、日輪はふらりと視線を落とした。
「何があったかは知らないけど。東雲さんは考え過ぎる所があるから。もう少し楽にしてもいいと思うけど」
 いただきます、と手を合わせて、志穂はサンドイッチの封を切る。
「─話ぐらいなら聞くわよ?」
 その言葉に日輪は視線を上げた。気遣うような志穂の眼差しに淡く微笑む。
「ありがと。でも、言えないんだ。どうしても。これだけは私がちゃんと考えて決めなきゃいけないことだから」
「相変わらず、頑固なんだから。まあ、それならいいけど。……でも、あんまり無理しちゃ駄目よ」
「うん」
 えへへ、と笑って日輪は零れ落ちそうになった涙を拭った。


「ただいま」
 どうしたら一番良いのかが解らないまま玄関を潜る。きちんと揃えられた黒のローファーが目に映って、自然と溜息が漏れた。尽はどうやらもう帰ってきているらしい。
 日輪は一度きつく目を閉じて、心を落ち着かせようと試みた。が、それはあまりにも難しいことのように感じられた。
 顔を合わせたら何を言われるのだろう? 何を言ったらいいのだろう?
 そんな気持ちでいっぱいになる。
 目をぎゅっと閉じて開ける。それから意を決して、敲から上がった。だけど。やっぱりどうしても怖くて、無駄に足音を忍ばせてしまう。
 玄関から二十歩ほど進んだ所にあるリビングのドアを押し開けると。そこには無防備に眠る尽の姿があった─。
 制服のままで、ソファに身体を埋めて気持ち良さそうにすやすやと寝入っている。大人びた仕草や表情を見せるようになった今でも、その寝顔だけは変わっていない。幼い頃から見ていた尽のものだ。
 ほっと安堵の息を吐き出した彼女は、歩み寄ってソファに寄り添うように腰を下ろす。
「……どうしたら私は楽になれる?」
 答えの出ない問いを小さく唇に乗せて、ふわりと弟の髪の毛を撫でた。
「気持ちは止まらない。でも、捨てることも─出来ない。……ねえ、どうしたらいいと思う?」
 目の前がぼやけていく。熱いものが溢れて零れて、気持ちと一緒で止まらない。
「─ったく。いくつになっても、ねえちゃんは泣き虫だよな」
 突然ぱっちりと目を開けると、尽は苦笑しながら指先で涙を拭った。
「起きて……たの?」
 まさか聞かれるなんて。愕然と呟く。
「避けられてるってのは自覚してるから。こうしてれば平気だろうなって思ってさ」
 騙してごめん、そう言って勢いをつけて身体を起こした。
「さっき言ってたこと。どういう意味か聞いてもいい?」
 挑むような視線を向けられて、日輪は思い切り頭を振る。言葉になど出来ない。口にしてはいけないという思いが強く在った。
─でも。言わなくてもきっと、尽は気付いてる─
 すっくと立ち上がると足早にドアへと向かった。捉えられる前に逃げないといけない。でないと、このまま戻れなくなりそうだ。
「ああ、そうだ。今日は父さんも母さんも仕事で泊まりだってさ。さっき、連絡あったんだ」
 ふと思い出したように尽が告げる。驚いて肩越しに振り返ると、彼はふ、と笑った。それはひどく苦いもののように見える。
「今夜は二人っきりってことになる。だから。─部屋の鍵はちゃんと掛けて」
「尽……」
「オレ今、冗談抜きで何するか解らないから。結構ヤバイんだ」
頼むよと言われて、日輪は頷くことしか出来なかった。

ゆっくりと日が落ちて、やがて夜が来る─。


4 約束の先にある「罪」

 ─なにがあっても、オレだけははなれていかないから。
 ─どんなことをしても、ねえちゃんをずっとまもるから。
 ─だから。おおきくなったら、けっこんしよう。


「……あの時の、夢か」
 日輪はぼんやりしながら呟くと、冷えた身体を両腕で抱えた。
 一人で味気ない夕食を取って、それから部屋に籠もって時間を過ごしていたのだが、どうやらうとうとと微睡んでいたらしい。時計に視線を向けるといつの間にか日付が変わっていた。
 夢に見たのは、遠い幼い日のこと。
 姉弟だと結婚が出来ないとか、そういうことは全然解っていなくて。ただ純粋に一緒に居たくて無邪気にした約束。小指と小指を絡めて誓い合ったあの日のことだ。
 それは、懐かしさと苦さを蘇らせる─。
「姉弟、だから」
 ぽつりと口に出した当たり前の言葉に、涙がこぼれ落ちた。
 それはもうどうしようもないことで。こうして泣いていたって変わりはしないことなのに。溢れ出したものは止まらなかった。解っているのに、胸は痛い。
「ねえちゃん?」
 躊躇いがちなノックの音とそう呼ぶ声に、日輪はドアのほうへと視線を向けた。
「……何?」
 泣いていることを気付かれないように意識して声を低くするが。
「何って、泣いてるみたいだったからさ。どうしたのかと思って」
 それはどうやら無駄なことだったらしい。彼女は肩を落として大きく息を吐き出した。
「尽には隠せないね」
 小さく笑って、ドアの前へと移動する。
「─ねえ。昔した約束って、覚えてる?」
 前触れなく告げて、扉にこつんと額を当てた。
「ああ、もしかしてあの結婚の約束のこと?」
 すぐに思い出してくれたことが嬉しい。ふふ、と少しだけ笑うと出来るだけ軽い口調で弟に言った。
「うん。─あの約束は果たせないね。姉弟だもん」
「日輪」
 遮るように名前を呼ばれて息を飲む。名前を呼ばれるだけで、こんなにも切ない。
「果たせなくて泣いてるって思ってもいいわけ?」
 感情を感じさせない静かな声が問うた。日輪はぎゅっと硬く目を閉じる。答えられない。
「確かに姉弟だけど。それでもオレは……日輪が好きだよ。もう解ってるだろうけどさ」
 殆ど吐息と言っていいような声が、ドアを越えて聞こえてくる。涙が更に溢れて、息が詰まった。
 どうしたら、楽になれるのだろう。切に彼女は思う。出してはいけない答えを抱え込んで、嗚咽を堪えた。
「……たしは、好きじゃ、ない……っ」
そう、必死に言葉を絞り出す。こうでも言わなければきっと、もう姉弟ではいられない。
「そっか」
 責めるでも詰るでもなく尽はそれだけを言うと、大きく息を吐き出した。
 日輪にはそれが辛かった。本当は自分だって─なのに。尽が大切なのに。傷付けたくなんかないのに!
 重たい沈黙が場を支配する中、想いに苛まれていく。
「……っ」
 堪らなくなって思いきりドアを開け放った。そこに居る弟にぐちゃぐちゃの泣き顔を晒して、言い募る。
「さっき言ったの、嘘……だからっ。お願いだから、信じないで……」
「解ってる」
 きつく抱きしめられて、日輪は泣きじゃくった。涙を拭うみたいに落とされるキスが優しくて、余計に切ない。
「もう、どうしたらいいか、わかんない」
 受け入れるみたいに尽の背中に手を回して、震える声で告げた。
「だけど。私も尽が好きだよ……」

選び取った答えは罪となる─。


* * *

「愛してる─」
 譫言のように彼が囁いた。まるでそれが免罪符みたいに何度も何度も繰り返される。
「尽」
 はぁ、と熱い息を吐き出して、日輪は弟を抱きしめた。そこにある畏れを分かち合うみたいに。
 びくりと彼は動きを止めて、熱っぽい瞳で見下ろしてくる。
「……全部、背負い込まないでね」
 彼女の言葉に、尽は驚いたように目を見開いた。
「お願いだから、私にも分けて。悪いのはあんただけじゃないんだから」
 ね、と念を押すみたいに言うと、彼は溶けたように微笑む。
「共犯者ってこと?」
「うん。同じなの」
 首の後ろに手を回して、顔を引き寄せた。そっと唇を押し当てると、またゆるゆると彼が動き出す。それは了解の証。
 緩慢に罪を受け入れながら、日輪は弟の肩越しに白んでいく四角い空を見た。

 この先にあるのは甘い地獄か、偽りの楽園か─。
 まだそれは解らないけれど、それでもきっと。後悔だけは生まれない。