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好き好き大好き愛してる

1

真昼の太陽がじりじりと地面を熱して、遠くに陽炎を揺らめかせていた。建物の中にいる日輪はそれを直接感じることはなかったが、それでも見ているだけで暑くなる。夏だから仕方がない、そう思ってはいてもげんなりとした気分にはどうしたってなるものだ。
「いいじゃん?尽ってカッコイイし」
あっさりと言われた言葉に、ガラス越しに見ていた道路から日輪は慌てて視線を戻す。テーブルを挟んで向かい側に座っている奈津実はストローを銜えたまま、くぐもった声で続けた。
「アンタには優しいしね」
「……なっちん。ちゃんと私の話、聞いてた?」
大きく息を吐き出して、日輪は額を抑える。ちょっと泣きたいかも知れない。
「聞いてたってば。だから、尽に告白されたんでしょ?」
「違う!」
「違くないって。好きだって言われたなら、そうなんじゃん」
「そう言ってからかってるだけなんだってば。尽は」
グラスの中の氷を突く。からん、と澄んだ音が響いた。
「だって弟だもん」
ふて腐れたように付け足すと、奈津実は肩をすくめる。
「弟でもわかんないでしょ。本人じゃないんだから。アンタの言う通りにからかってるだけかも知れないけど、本当に本気かも知れない。──違う?」
「それはそうだけど。でも違うもん」
日輪は言って、残りのアイスティーを飲み干した。グラスの中にはミントの葉と透明な氷だけが残る。
「アタシは前からそうじゃないかって思ってたけど」
テーブルの上で片手だけで頬杖をついた奈津実に、日輪は怪訝な眼差しを向けた。
「尽はアンタのことが好きだっていう気がしてたんだって。高校の時からね」
内心を読んだようにさらりと言って。
「ま、カンだから当てにはならないかもだけど」
にっと笑って、オレンジジュースの入ったグラスを指で弾く。
「絶対違うって。尽は弟だし、私はお姉ちゃんなんだから。そんなことある筈ない。私の反応が可笑しいから、からかって遊んでるんだよ」
日輪がゆっくりと唇に言葉を乗せると、奈津実は顔をじっと覗き込んできた。
「あのさ。今のって自分に言い聞かせてるみたいだったよ? ねえ。もしかしてアンタも……」
「違う!」
彼女の言葉を思わず強く遮って、それからはっとする。これでは肯定しているようなものかも知れない。顔が火照っていくのが解る。
奈津実はよしよしと日輪の頭を撫でた。
「理屈じゃないもんね。人を好きになるのってさ」
「ほんと違うんだって。別に好きってわけじゃない。ただ─」
言い掛けて、躊躇ったみたいに口を閉ざす。
「ただ、何?」
焦れたように促す奈津実に一度視線を遣ってから、日輪は吐息と共に言葉を吐き出した。
「時々、知らない男の人みたいで、緊張しちゃうことはあるよ」
きょとんとした奈津実は目を数回瞬かせる。が、すぐに堪えきれないみたいに吹き出した。
「日輪って可愛い……っ」
「な、なんでよっ!?」
「だって! 弟なのに意識しまくりじゃん、それって! なんか恋の始まりって感じで初々しいっていうか……っ」
止まらなくて苦しいみたいに笑い続ける彼女を日輪は真っ赤になりながら睨む。
「なっちんに相談した私が馬鹿だった」
拗ねたように唇を突き出すと、奈津実は目元の涙を拭った。
「ゴメンゴメン。もう、ちゃんとするから!」
ね、と手を合わせた彼女に日輪は仕方ないな、と言い掛けて。そこで止まる。
彼女の左手の薬指に輝くものを見つけたからだ。
「な、なっちん! 何それ!」
思わず指をさすと、奈津実は困惑したように頬を掻いた。
「あー、その。実はね……結婚するんだ、アイツと」
「えーーーっ!! き、聞いてないよ!?」
「だ、だから。今、言ってるじゃん。ていうか、ホントは後で言うつもりだったの。でも、何て切り出せばいいかわかんなくてさ。──まあ、とにかく来年には人妻になる予定だからよろしくね」
奈津実は少しはにかみながらそう言って、今までの中で一番綺麗な笑顔を浮かべる。日輪はそれだけで何だか胸がいっぱいになって、思わず涙ぐんだ。
「──おめでとう」
「へへ、ありがと。でもさ、アンタより先に結婚するなんて思ってなかったんだよね、実は。まあ、相手が弟じゃあねえ……」
「なっちん~~」
呻くように名前を呼ぶと、悪戯っぽく彼女は笑う。
「まだ違うって言うわけ? いい加減認めたら? アンタは尽が好き。尽もアンタが好き。ほら、もう何も問題ないじゃん?」
「好きとか嫌いとかは今は置いておくけど。姉弟なのは問題じゃないわけ……?」
「問題ない!」
言い切った奈津実は、ぐっと拳を作った。
「そんなの些細なことじゃん。障害が多いほうが燃えるんだよ? いいねえ、禁断の恋!」
「……面白がってるでしょ、なっちん」
日輪は重く溜息をつく。グラスの中の氷がいつの間にか溶けて、緑の葉がゆらゆらと浮いていた。
「まあ、それは冗談なんだけど」
こほん、と一度咳払いをする。そして口調を改めて、至極真面目に奈津実は言った。
「確かに周りは間違ってるって言うかも知れないけどね。姉弟っていうのは否定出来ないんだし。でも、そういうのもあっていいとアタシは思う。上手く言葉には出来ないんだけど、ね」
無責任に聞こえるかな、と苦笑する。
「──わかんない」
しばらく黙り込んで考えていた日輪だったが、そう ぽつりと呟くとテーブルの上に突っ伏した。
「考えても仕方ないんじゃない? こういうことはさ」
自分のほうを向いた旋毛を突いて、奈津実は溜息を吐く。
ゆっくりと少しだけ顔を上げると、彼女は「情けない顔しないの」と笑った。
「話を聞いた分では尽は本気だとアタシは思うんだけどね。ま、とりあえずアンタは自分の気持ちを認めたり、尽の気持ちをもう一度確かめたりしてみなよ。よし、それで決まり。あ、あと何か進展があったら奈津実ネェさんに教えること。以上、今日は解散!」
「ちょ、ちょっと、なっちん!」
さくさくと話を進める友人に慌てて日輪は身体を起こす。だが、奈津実の行動のほうが早かった。伝票を掴んで悪戯っぽく片目を瞑る。
「ほら、アンタは早く帰る! 尽、きっと玄関で待ってるよ。飛び出してきたんでしょ?」
う、と言葉に詰まってから日輪は気鬱げに息を吐き出した。出掛け際にあったことを思い出すと、どうしても顔が熱くなる。
その様子に気付いた奈津実はにやりと笑って、彼女の肩をぽん、と手を置いた。
「意識しまくりだね、お姉さん?」
反論できずに、日輪は恨めしげに奈津実を睨め付ける。


2

「お帰り、ねえちゃん」
玄関を開けた途端にそう声を掛けられて、日輪は怯えたようにびくりとする。
ゆっくりと視線を遣ると、壁にもたれるようにして床に座り込んだ尽がそこにいた。
「意外に早かったな」
よ、と声を掛けて立ち上がると彼は動けずにいる日輪に苦笑する。
「そんなに警戒しなくたっていいじゃん」
「─ずっとここに居たわけ?」
尽の言葉には応えずに、彼女は疑問を口にした。
「まあね。オレなりに反省してたってとこ」
あっさり頷かれて、日輪は困惑する。奈津実の言葉がまさか当たるとは思っていなかったのだ。
「尽……」
何を言えばいいのか解らずに彼を見つめる。すると、その口元が不意に笑む形を取った。
「もっとスマートにやれば良かったってね」
え、と思った時にはもう腕の中だった。抱き寄せられて、抱きしめられていると認識するまで、少しだけ時間を要する。
「つ、尽! 放してってば!」
「イヤだ」
じたばたと日輪は暴れるが、力では全然敵わない。状況はちっとも変わらず、ただそれは悪あがきになるばかりだった。
「ねえちゃんが……日輪がオレの気持ちを認めてくれるまで、今度は放すつもりはないからな」
さっきは逃げられたけど、今度もうは逃がさない。
言外に含まれたその意味に日輪は身体を強ばらせた。

数時間前を繰り返しているように、挑発的な瞳が彼女を捕らえる──。

 * * *

「ね、え、ちゃん」
声を捉えたその直後に、日輪は背後からしっかりと抱きしめられていた。
光の差し込む明るい玄関、そこで履いていくミュールを選んいる最中だった彼女は、ぎくりと身を竦ませる。
「どこ行くの?」
耳に後ろで甘く囁くように問われると、血液がそこに集中していくようなそんな錯覚に囚われた。相手が誰だか解っているのに、鼓動が早くなるのを止められない。意識するな、と必死に自分に命じる。
「……いきなり抱きつくのは止めてって言ったよね?」
内心の動揺をひた隠し、日輪は言った。質問のほうには答えない。
「尽」
諫めるように名前を呼ぶと、くすくすと笑いながら昔とは全然違う声で彼はそれを肯定した。
「ああ、言ったね。でも、オレも止めないって言ったよな?」
「つーくーしー」
うんざりしながら肩越しに振り返ると、悪戯っぽくきらめく瞳がすぐ側にあった。それが挑発するようにすっと細められる。
「黙ってこっそり出掛けようとするなんて、随分薄情だよね、ねえちゃんって」
「だ、だって。言ったらあんた付いてきそうなんだもん……」
痛い所を突かれて日輪は口ごもった。
尽はそれににっこりと笑うと、「ま、相手が男なら当然付いてくな、うん」と悪びれずに言う。
「あー、もう。なっちんと買い物行くだけだってば。ほら、言ったんだから放してよ。暑い~」
「はいはい、解りましたよ。お姉サマ」
いかにも仕方がないみたいに返事をすると、尽はだらりと腕の力を抜いた。だが、それは肩に掛かったままで外れる気配はない。
「まったく……」
はあ、と溜息を吐いた。どうしてこうなのだろうと思わずにはいられない。
一本ずつ腕を退かしてから、日輪は振り返りざまに弟を睨め付けた。
「いい加減、私で遊ぶのはやめてよね。あんまりしつこいとそのうち本当に怒るよ」
最近、尽はずっとこんな調子で。それに関わるとおかしくなることを自覚していた彼女は、釘をさすみたいに言い放つ。実の弟を意識なんてしたくない。
だが、返ってきた言葉は更に日輪を困らせるものだった。
「遊んでないよ、オレは」
くすりと笑うと、覗き込むように顔を寄せてくる。
「日輪が好きだから。本気で迫ってるんだけど、解ってないんだ?」
口調はごく軽く。だけど、目だけが怖いくらいに真剣で。日輪はじりじりと後退った。
「か、からかわないでよ。それにお姉ちゃんを呼び捨てにしないの」
震えるような声で、それだけをやっと言う。
「からかってなんかいない」
ゆっくりと間近で唇がそう動いた。そして、少しずつそれが近くなる。
キスをされる、否、してしまう──。
そう思った時には既に尽を突き飛ばし、その場から逃げ出していた。

 * * *

「あのさ。ねえちゃんは気付かれてないと思ってたみたいだけど。気付いてたよ、オレ」
不意に尽が耳元で囁く。言葉の濁された部分に、ぎくりとした。おずおずと視線を上げる日輪の目に、探るような彼の視線が刺さる。
「オレのこと、意識してるだろ」
「し、してない!」
かあっと耳まで熱くなるのを感じた。慌てて顔を逸らしたが遅かったようで、尽が喉の奥で小さく笑うのが聞える。
「相変わらず嘘付くの下手だな、ねえちゃん?」
肩より少し下まで伸びた髪の毛をさらりと梳いてきた。その長い指が首に触れるのを感じて、日輪は息を詰まらせる。
「嘘じゃないんだから……っ」
「説得力ナシ。」
あっさり彼女の言葉を否定すると、尽はふわりと頬に手を添えた。
「まあ、百歩譲って意識してないってことにしておいてもいいけどさ。オレが本気だってことは解ってくれないかな」
少し屈むようにして彼女の瞳を覗き込むと、鮮やかに笑う。
「──好きだよ」
その言葉は今度はさり気なく告げられた。だからだろうか、すっと胸に入ってくる。ひっそり息づいていた感情が、それに呼応したように強くなるのを感じた。日輪はそれを怖いと、いけないと思う。
「間違ってるよ、尽。だって、姉弟な……んっ」
弟を、そして自分を諫めようと口を開いた彼女だったが、その言葉は途中で音を無くした。
唇が、重ねられていた──。
切ないぐらいに優しいそれは、一瞬より長く続き、温もりと感触を残す。
少し距離を置いた弟の顔を静かに見つめて、日輪は何だか泣きたくなった。哀しくてとか腹立たしくて、ではなく。ただ、胸が締め付けられて。─触れた唇から、理屈ではない想いが伝わってきたからかも知れない。
「間違ってるとか、姉弟だとか。そんなのわざわざ言われなくてもオレだって解ってる。……解ってるから、今までイイ弟でいただろ?」
自嘲気味に尽は笑う。それからゆっくりと、まるで逃がすみたいに日輪を腕から解放した。
「尽……?」
呼ぶと、彼は「とりあえずは認めてくれたからな」と肩をすくめる。確かに、そう言っていたことを思い出した。でも──。認めて、それから?
問うような視線を尽に向けると、彼は数回目を瞬かせる。
「もしかして。まだ抱いてて欲しかった?」
「違う!!」
「……そんな力一杯否定しなくたっていいじゃん。ちょっと言ってみただけなんだからさ」
少し拗ねてみせる弟に、日輪は溜息を落とした。
「何か私だけ真面目に悩んでるような気がする……」
奈津実も尽も、何処か楽天的に感じるのは気のせいだろうか。
「それは気のせい。オレだってちゃんと真面目に悩んでマス」
心外だと言うように憮然とした表情を浮かべると、尽は頭の後ろで手を組んだ。
「伊達に長年、実の姉に片想いしてたわけじゃないんだぜ?」
「そ、そう……。ていうか。してた──って、何で過去形……」
曖昧に頷き掛けて、一部に引っかかりを覚える。それを疑問にするよりも先に彼が口を開いた。淡々とした抑揚のない声が紡がれる。
「さっきオレが言ったこと、訂正しよっか。ねえちゃんはオレを意識なんかしてないって」
ざわざわと胸が騒ぐのを感じて、日輪は弟の瞳を見つめた。そのことを今更言う意味は一つしか考えられない。──尽は想いにケリを付けようとしている?
冷たい汗が、背中を流れるのを感じた。あんなに認められなくて、違うと思いたかったことなのに。今は嫌だという気持ちが渦巻いている。
「あのさ。何か見当違いなこと考えてない?」
見返された瞳が、可笑しそうに細められた。どうして。そう思うとすぐに種明かしをするみたいに尽は言う。
「全部、顔に出てるから。」
「うそ!?」
慌てて手で顔を覆うが今更で、尽は楽しげに笑うばかり。
「ホントだって。ねえちゃんが何考えてるか手に取るように解っちゃうよ、オレはね?」
呻いて指の間から覗き見ると、彼はにんまりとした。
「オレが諦めると思ったみたいだけど、それはあり得ない。さっきのは意識してるなんてレベルじゃもうないって言いたかったわけ。つまり、もうオレを好きになり始めてるだろ?ってね」
不敵に笑った尽が指先にちゅ、と何気なくキスを落とす。
驚いた日輪は思わず手を下ろすが、そこではっとした。─嵌められた。
「ビンゴ。」
顔を覗き込んだ彼が嬉しそうに微笑むのが目に映る。


3

真っ青な空。雲一つないそれは限りないみたいに広がり、見上げるものに夏を強く感じさせていた。涼しくなるのはまだ先らしく、太陽の光は容赦を見せない。
庭先で洗濯物を干していた日輪は、手の平に透かしてその熱い恒星をちらりと見上げた。
「この分だとすぐ乾くよね」
ぽつりと独りごちると、背後から尽に呼ばれる。
「ねえちゃん。奈津実さんから電話」
軒先で子機を掲げてみせる彼に頷いて、少し慌ててシーツを洗濯ばさみで留めた。
「ありがと」
ぱたぱたと駆け寄ると、尽は応えるように にこりと笑って頬にそっとキスをする。
「後はオレがやっとくから」
くすぐったくて目を瞑った隙に、腕から洗濯物の入った籠を抜き取られていた。相変わらず抜け目がない。
「じゃあ、お願いしよっかな。ありがと、尽」
くすりと笑って保留ボタンを押した。
──と。
『ちょっと日輪! 今、尽に聞いたよ! アンタ達、上手くいったんだって?! おめでとう! 良かったねー!』
もしもしを言うよりも早く、奈津実の声が辺りに響く。かなりの音量のそれに日輪が思わず子機を遠ざけると、庭先の尽が可笑しそうに笑った。
「尽のお喋りー」
口の中でぼやくように言うと、彼は大仰に肩をすくめてみせる。聞こえたわけではないだろうから、多分、いつものように表情で読まれたのだろう。
まったくもう。
声に出さずにそう呟くと、尽はそれにも気付いたみたいに悪戯っぽく片目を瞑ってみせた。そして継ぐように「愛してるよ」と唇だけが動く。
がしょん、と。手から滑り落ちた電話が派手な音を立てた。