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ALUCARD

ゆっくりとドアを開くと、ベルがカラカラと音を立てる。
中からふわりと薫るのはコーヒー香り。そして、少しだけケーキの甘い匂いがした。
照明を意識してちょっとだけ抑えめに設定した店内は、バイトしていた頃と変わらず落ち着いた空気で日輪を迎える。
懐かしい、そう思ってきょろきょろと視線をあちこちにやった。
「いらっしゃいませ。ああ、日輪ちゃん。久しぶりだね」
カウンターから店長が顔を覗かせて、にっと笑う。
日輪はぺこりと頭を下げると、足を踏み出した。
「こんにちは。ご無沙汰してます」
喫茶ALUCARD。ここで働いた三年間が、色あせずに蘇る──。


「今日はどうしたの…って、もしかして弟くんの様子見に来たの?」
悪戯っぽい笑顔を浮かべる店長に、日輪は苦笑してみせた。図星だったのだ。
突然バイトを始めたいと言い出した尽に驚いたのは両親よりも日輪で。その時、感じたものは心配よりも寂しさだったなんて本人には言えないけれど。とにかく落ち着かなかった。
バイトを始めて、帰りが遅くなってきて、その想いは余計強くなる一方。
だから、こうしてこっそり偵察に来てしまったわけだ。
「過保護だな、とは思うんですけどね」
自嘲気味に呟くと、店長は何も言わずに頭をぽんぽんと軽く撫でた。
バイトをしていた時も日輪はこういう何気ない優しさに何度も救われた事をふと思い出す。
自分より一回り以上年上の店長は、顔は少し怖いけれど、でも、温かくて優しい人なのだ。
くすぐったいような気持ちになって、小さく笑う。
「すみません!遅れました!──って、ねえちゃん?!」
勢いよくスタッフルームから飛び出してきた尽が日輪を見つけて目を丸くする。
「『ねえちゃん』はいいから。ほら早く三番テーブルの後片付け!」
追っ払うように手を振る店長に、しぶしぶといった風に尽は返事すると踵を返した。
「相当驚いたみたいだ。見てみなよ、動きがぎこちない」
くっくっ、と喉の奥で笑いながら耳打ちする店長に日輪は困ったように笑う。
「いつもはあんな感じじゃないんですか?」
「全然違うねー。もっとテキパキしてて客受けもいいよ。特に女性客に、ね」
言って、片目をつぶってみせる。
「ふぅん…」
「おや。気になるかな、『ねえちゃん』?」
「別にそんな事ないです」
からかうような口調に日輪は眉を寄せて、カップに口を付けた。
「大丈夫だよ。よくやってくれてる。日輪ちゃんは看板娘だったけど、尽は看板息子だ」
店長はショーケースからモンブランを取り出すと、日輪の前に置く。目を瞬かせると彼は小声で「おごり」と言って笑った。


「オーダー、一番テーブル。カフェオレ1カプチーノ1」
手元の伝票に視線を落として告げる。ドアのベルが鳴れば振り向き、笑顔で「いらっしゃいませ」。客が帰れば即、後片づけ。
忙しそうに働く尽を横目でちらりと見て、日輪は息を吐き出した。
確かによくやっているようだ。
「ご馳走様でした」
店長の背中に声を掛けると、日輪は掛けて置いたコートはを羽織る。
「もう帰るの?」
「ハイ。今日、忙しそうですし。また今度普通の客として来ます」
振り向いた店長は何か思案するような表情を浮かべてから一度頷き、手招きした。
首を傾げつつ耳を寄せる日輪に
「──早く大人になりたい、近付きたい人がいるからって言ってたんだよ実は。だから、働いて自分でお金を稼ぎたかったんじゃないかな」
そんな事を囁く。
「近付きたい人?」
難しい顔をして考え込む日輪の頭をくしゃくしゃと撫でてから店長は言葉を続けた。
「誰とは言ってなかったけどね。なんとなく解ったよ。…これじゃあ、尽は大変だろうなぁ」
可笑しそうに笑う店長を見上げて、日輪は更に頭を悩ませるのだった。